一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

段級位認定大会(9/15)

 9月15日、日本棋院主催の段級位認定大会に出場するため、日本棋院市ヶ谷本院へ。この大会私は3度めの出場で、1回めは昨年12月に5級戦に出場し3勝1敗、2回めは今年2月に3級戦に出場し2勝2敗。前回の3級戦での成績は奮わないが、半年以上経っていてその間にそれなりに強くなった手応えがあるので2級戦での出場を決意。

 

 この大会では計4局打ち、うち2勝以上すればその段・級の免状を取得する資格を得る。ただし、2勝のみの場合は免状代金を全額支払わなければならないが、3勝すると半額、4勝全勝ならば無料で免状を取得できる。級位の免状でも5,400円するため、半額・無料になるのは大きい。

 

 1局目。中学生くらいの少年が相手。こういうのは強いだろうと構えるも、中盤に差し掛かる前に相手の大石を殺すことができ、優勢を確保。その後も危なげなく打って勝利をものにする。

 

 2局目。(おそらく)耳が聴こえず、発話することができないご老人が相手。つい先月、宝酒造杯という別の大会でこの方に破れたばかりなのである。その一局は私が勝っても良かった展開だったので、今度こそはと臨む。

 今回も同じように、私が勝っても良い展開になったのだが、どうも同程度の相手に勝ち切る何かが抜けているようで、投了する結果に。

 それにしても、(おそらく)耳が聴こえない相手と碁盤を通して豊かなコミュニケーションがとれたことにある種の満足感を得ることができた。負けはしたが、対局中は極めて険しかった勝ったときの相手の笑顔はなかなか眩しくて、いいなあと思ってしまった。

 ただ、このご老人、私との対局中に2回もハガシ(一度打った石を別の場所に打ち直すこと)をおこなったのは残念だ。ハガシは本来反則であり、やった瞬間に負けとしなければならないのが本来のルールである。大会の後に会った知人は、自分が着手禁止点に打ってしまった(これも反則)直後に、優勢の碁を即投了したという。本来は当然そうすべきなのだが、なかなかそうしない人が多いので立派なものだと思う。私も相手にハガシをされた時点で、「あなたの負けですよ」と宣言して審判員を呼ぶなどする権利は当然あったのだが、そうするのもなかなか辛く、勇気がない。

 趙治勲二十五世本因坊は「お悩み天国」の中で「『待った』(=ハガシ)をする相手とは、同じ時間を過ごすだけ無駄。君の人生にプラスになることは何一つありません。...子供でも病人でも、「待った」は絶対にダメです」「『待った』は、過去に戻ることと同義です。許されるわけがない。だってみんな過去に戻りたい。誰にもやり直したい過去が一つや二つあるものだからね。過去に戻れたらみんな成功できるけど、それができないから人は悩んだり苦しんだりしする。逆に、そういう悲哀があるからこそ、人には生きていく価値があるんです」と述べている。至言だと思う。相手が誰であれ、反則する相手に勝ちを宣言したり逆に投了したりすることができないのは、単純に自分の弱さであると思う。

 

 3局目。60歳くらいの男性が相手。自分が圧倒的に有利な展開だったはずだが、二回ほど油断で、大石を取られそうになる。というか、確実に取られていたのだが、相手もチャンスに気づかず、勝ってしまう。打った瞬間マズイと気づいて、相手が次に確実に殺しに来るかと思うと、胃が痛くてしょうがなくなった。本当に痛かった。結果的には大勝だが、ころっと負けていたはずの碁だった。

 

 4局目。胃の痛さを引きずったまま、中年の女性と対局。中央の厚みをしっかり地にして大勝。自分はいつの間にか中央志向になっている。

 

 結果3勝1敗で、半額で2級の免状を申請する資格を得る。申請する気はないけれどもひとまず満足。

 

 最近碁会所で知り合った、比較的年が近い人々の団体に合流し、市ヶ谷のある居酒屋で飲み。囲碁を始めて1年少し、ずっと一人で打っていて同じ趣味の友人というのがいなかったため、囲碁のネタで盛り上がれる人々がいるというのは新鮮だった。大学のときの飲み会のノリを思い出した。

 

 居酒屋のメニューにはわざわざ「中国産食品は使用していません。なぜなら中国の土壌汚染がどうこう」という紙。中国産だろうが日本産だろうがどこの国の産物だろうが危ないものは危ないのだから、安全性に配慮した食材を選んでいるということが言いたいのならそういえばいいのに、わざわざ「中国」を強調するのは客の「嫌中」意識をくすぐるためであろう。そういうふうにしかとれないメッセージだった。

 

 飲み会の後、同じ方向の電車に乗った人(この人は今日が初対面)と池袋について話す。私もその人も池袋が近所だからその話題になったのだが、池袋の良いところを挙げていったあとで彼が「でも、池袋は、中国人が多いんだよね〜」と言い放った。

 その程度なので、差別発言とも言えないし、実際彼が池袋に住んでいて中国人住民から何らかの迷惑を被っているのだとしたらそう思うのもある程度仕方がないが、それにしても不用意で迂闊な人物だなと思った。「私の婚約者は中国人なのですよ」と私が言ったら(事実)、その場をどう取り繕うつもりだったのか。あるいは「実は私も中国人ですよ」とか、よく知らない相手にそういうことを言えばそういう返答が帰ってくる可能性はいくらでもある。

 別にこの個人を攻撃したいわけではなく、日本のあちこちに、日本がすでにそれなりに多民族国家化しているのに、それに気づかない人による迂闊さと不用意さ、あるいは単なる下劣な差別主義が横行しているように感じる。