一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

責任が重い

 発達障害に関する本を何冊か読んで(といっても、一般向けの軽い読み物のようなものばかりだが)、やはり「自分は発達障害だー!」とこのブログで快哉を叫ぶがごとくしたのは軽率であったと少し反省している。障害というからには、それはもっと厳密なものであり、科学的なものでなければならないのだ。専門的に心理学をやっている人の前で迂闊なことを言って、「本当に発達障害なら、家から出られないような人ですよ」と軽く諭されもした。(それはそれで言いすぎだと思うのだが…)
 
 とはいえ、障害なり病気なりという形で、自己の「欠点」を何らかの形で他者化するというのは、人が精神安定を保っていく上で重要なことであろうと思う。取り憑いてくれる悪霊がいない現代において「欠点」は自分の「責任」である。ときにその責任は、重すぎるのだ。
 
 さて、私は仕事が辛い。責任の重さに耐えられないと感じる。人命を預かっているとか、国家機密を管理しているとかいう意味での「責任」ではない。自分の「欠点」を自分の落ち度とし、改善する義務を負っているという意味での責任である。
 
 発達障害であるかどうかはともかく、私は忘れっぽいし、人の話を聞いてさっと理解するのも苦手である。私が何かをし忘れると上司は私に「なぜ○○をしなかったのか?」と詰め寄る。上司は私が「申し訳ありません、忘れていました」「思い至りませんでした」などと釈明するのを禁じる。「なぜ」という形で問われたからには、その「理由」を説明しなければならないのだ。忘れてしまった理由、思いつかなかった理由など、ひねり出せるはずもないと私は思うが、上司は執拗にこの「なぜ」を連発し、私に言葉を失わせる。理由を説明できない私は、「無責任」な人間である。ここで「発達障害というのは、そういうものなのです」などと説明できたら、相当楽になのだろうか、そうすべきなのだろうか…。
 
 うつ病になってしまいそうだ、と日に一度は感じる。先月の末から、通いやすいところにある精神科に通い始めた。「発達障害の診断は難しいし、時間もかかる」と、当然のことを告げられる。やってもらったのは、メイラックスという比較的軽い抗不安剤の処方のみ。「抗うつ剤も処方しましょうか?」と言われ、それはまだいいです、と答えた。風邪で医者にかかるときと同じで、結局薬のことばかり、と思う。
 
 自分の身は自分で守るために、戦う覚悟を決めた。
 
 発達障害という名の悪霊に自分の責任を背負わせようが、そうしまいが、結局戦わなければいけないのは同じだ。自分ではどうしようもないと感じたら、自ら作った偶像を悪魔の化身として懲らしめ叩き壊すことで災いに対処した古代人よろしく、発達障害という偶像に一部を押し付けることはできる。それで戦いが少しでも楽になるのなら、大いにそうすべきであろう。
 
 この戦いにおいて、ライフポイントと言うべきものは、自尊心である。自尊心を守りぬくための戦いであり、自尊心を増強するのに最も重要なことは、人に褒めてもらうことだ。幸いなことに、私には私を褒めてくれる人がいる。
 
 私は褒められることに客観的な証明など求めない。このブログのアクセスポイント、はてなスターの一つにしても、どれほど心強いことか。今までに一つでも、はてなスターを付けてくれた人のために、私にできることがあれば何でもするという気持ちさえある。そういう承認欲求を軽んじない、承認してくれた人への感謝を軽んじないというところに、戦いのポイントのひとつがあると思う。