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一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

他人の不幸、自分の狂気

 役所で窓口やっている私の仕事は、他人のプライバシーに土足で踏み込みまくれるという点で楽しさがあるが、今日は辛いことがあった。

 雇用保険の失業給付金には「延長」という制度があり、「すぐには働くことができない」人のために、失業給付金をもらう権利を先延ばしにすることができる。(失業給付は、「すぐに働くことができて仕事探しをしている」状態でないともらえない) 「延長」することのできる理由は限られており、「妊娠・出産」「傷病」等に限られている。

 「妊娠・出産」が理由で「延長」を解除して失業給付をもらい始める人に対して、私は母子手帳の提出を要求する。母子手帳が「妊娠・出産」という「すぐには働けない状態」の終了したことの証明書類になるからである。

 今日、私が見た母子手帳は、いつもと何か様子が違った。ADHD気味なのでもはや覚えていないが、通常の幸せな出産と記述の様子が異なっていた。分娩の日付は書いてあったが、私の手元の書類に記されている出産予定日より3ヶ月も前であった。

 そして、失業給付受給者に提出してもらう申告書にある質問の一つ「育児などをしていますか?」にその人は「いいえ」と答えていた。通常の出産をしてこの回答は基本ない。要するにこれは流産、あるいは死産なのである。私は職務上、これが流産・死産であることを確認しなければならない。

 おそるおそる手を出した。「こちら『いいえ』ということですが、これでよろしいのでしょうか…」と。相手は「はい」と無表情で答える。私は怖くなって、少々お待ちくださいと言って後ろにまわって先輩に質問する。「流産みたいなんですけど、確認しなきゃダメですかね。正直かなり聞きづらいんですが」と。先輩は「聞きづらくても聞かなきゃダメでしょ」と苦笑い。とうとう私は「申し上げにくいのですが、流産でしょうか」(←やや日本語がおかしい) と聞いた。「そうです」とやはり相手は無表情で答えた。

 私の慌てふためいた様子は、通常の対応よりも相手の神経を苛立たせたことと思う。自分の未熟さが申し訳ない。ただその人は少しも嫌そうな表情をせず、淡々と私の質問に答えてくれた。すごく良い人で、大人だった。それだけに、この人はどんな様子で流産という現実と向き合ったのかと思うと、辛かった。

 そう、役所の窓口に立って驚くのは、世の中実に多くの人が、良い人で大人であるということである。こんなに大人だらけでは、コドモは生きにくかろうと思う。いや、だから私は生きにくいのだ。

 さて。こうやって他人の不幸に未熟な立ち入り方をしてつくづく思うのは、他人の不幸よりも自分の不幸のほうが重大であるなあ、ということである。こりゃ近いうちに適応障害だな、と思いながら過ごす日々。病院の先生に「今すぐ休職しなさい」と言ってもらうためには、どんな話し方をすればいいかしら。狂人のフリしちゃおう! 狂人のフリが平気でできちゃうなら、要するに狂人ってことでしょ? それでいこう! そんな調子。窓口で客に対して真面目くさった話し方をしながら「いまぼくがこんなこと(狂人的言辞)言っちゃったら、相手はどんな反応するかなあ、などと想像する。

 魯迅の「狂人日記」は、周りがみな「人喰い」であるという妄想にとりつかれた男のモノローグであるが、この小説の怖さは作者自身が、「お前らは実際『人喰い』ではないのか」と周囲を告発している様子が伺えることである。「狂人日記」と題しながら、作者自身自分がこの狂人であると、ぎりぎりのところで匂わせている。そんな凄みがある。そんな凄みのある狂人に、どうせならなりたいものだ。