一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

ちゃんと一人でいよう

 病気休暇のための診断書を出してもらえた。

 いつも行っている心療内科には医師が2人いて、両方に診察してもらっている。24日土曜日の診察は、前回私の休職の希望に突き放すような態度をとったのとは別の医師が担当だった。

 この医師に、これまでの事情を話し、休職を希望していること、上司(課長)に「診断書は出ないのか」と言われていることを告げると、「辛そうだし、書きましょうかね」とあっさり書いてもらえることになった。

 「病名はどうしましょうか〜」と、そこまで私に委ねる対応。ネットや本を見た感じだと、自分は適応障害だと思う、と言ったら、適応障害ということになった。なかなか書いてもらえないのも辛かったが、この対応も、私を困惑させた。これでは、詐病したかのような気分。

 とはいえ、私は、「今日診断書を書いてもらえなかったら、月曜日に休んでこっちの言うがままに診断書書いてくれる医師に出会えるまで何件でも精神科をまわろう」ととんでもないことを実行に移そうと考えていたのである。それをせずにすんでよかった、よかった。それに私は、そんな狂人のようなことを考えていたのだから、やっぱり立派な狂人なのである。

 一ヶ月の休養と、職場環境の変更が必要、という趣旨の診断書。これ一枚で本当に休めるのかどうかわからないが、たぶん大丈夫だろう。前回書いたとおり、今の私はどう考えても職場のお荷物であるから、休んだほうがお互い負担の軽減である。

 だが、今後どうなることやら。ネットを少し見た感じだと、どうやら休職よりも復職のほうが難しいらしい。考えてみれば当然で、しばらく休んだ人間、それも精神をいちど病んだ人間に仕事を与えるのは働かせる側としても大きな負担である。復職させずに、そのまま休職期間を満了させて退職させるケースもあるようだ。

 

 彼女が引っ越していった。私も間もなく引っ越す。2年間の同棲生活が終わった。とはいえ、交際がこれからも続くのは間違いない。別居を選んだのは、彼女がどうしても猫を飼いたい、猫を飼わなければ自分の精神状態が良くならないと言うのがひとつ。彼女も精神病者である。

 私は当初、別居を何とか避けようと説得にかかった。金もかかるし、今の自分の体調で引越し作業などままならないし、何より彼女なしで今後、生活できるのかどうか不安である。だが、めでたく休職も実現しそうであるので、そのあたりのことはなんとかなりそうだ。

 それに、もう少し程よい距離感が必要な時期に来ているなとも思う。彼女は人並みにテレビ好きであるが、私は民放のバラエティやドラマの音声が聞こえてくるだけで神経が苛立ってしょうがない。私はできるだけ物の少ないシンプルな生活を志向しているのだが、彼女はよくわからないものをゴチャゴチャ買ってきて部屋を視覚的に騒がしくする。相手のことが好きで大切な存在だと思っていても、この手の生活観のミスマッチ解消のためには、わかりやすい解決策を施すのがよいと気づいた。

 休職と一人暮らしが同時に決まり、一人でいる時間がいきなり長くなる。ちゃんと一人でいようと思う。今までの人生、「ちゃんと人と関わろう」と思ってろくなことにならなかったパターンが多いように感じる。それで自分の関心に根本的には沿わない大学院に行ってしまったり、ちゃんと就職しようと(公務員になろうと)思ってしまったりしたのだ。他人を巻き込んで何かするのがすごい奴だ、という安っぽい自己啓発に振り回されて変なことをした。人生の方向性を変えよう。ちゃんと一人でいよう。できるだけ一人でできる仕事を目指そう。

 そういうわけで今日から、翻訳家見習いである。中国語メインで、一応英語もやっとく。専門分野として目指すのは、文芸(小声)。食っていく見込みなどないが、中学生のとき将来の夢の欄に「翻訳家」と書いた。卒業式の日にクラスメイトが、「翻訳者にお前の名前があったら、買うからな!」と言ってくれた。

 そんな長年の夢(中断期間も長いが)の実現のために、公務員としては長期休養させてもらうか、復職してもストレスのない、定時で帰れる閑職につけることを切に希望するが、そこは天意に委ねるしかない。