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一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

高貴なる病

 朝、職場に電話。「適応障害と診断されました。一ヶ月の休養が必要という旨の診断書を出されました」と報告。上司(課長)のありがたいほどに事務的な手続きを経て(ほんとにありがたい)、あっという間に私の病気休暇(制度上、まだ休職ではない)が決定した。

 適応障害。我らが皇太子妃雅子様も患ってらっしゃる、とってもオーセンティックで高貴な病気。某質問掲示板にて「最高の医療環境にあるはずの雅子様の闘病生活が長引いているところをみると、適応障害というのは難しい病気なんでしょうねえ」みたいなことを書いている人がいた。私は「いやいや、雅子様の医療環境は確かに最高でしょうけど、『ストレス原因から離れられない』という点で適応障害の治療に最も向いてない環境でしょうよ!」と突っ込まずにはいられなかった。高貴な病気を患う私は、しかし雅子妃と違ってストレス原因からこうして離れられたので、あとは安心して回復を待つことができる。下々の者でよかった!

 休職初日から早速、渋谷の映画館へ。中国の気鋭の新進監督、ロウ・イエ監督の新作『二重生活』を観るため。なんと監督本人が来日していて、トークショーもついてる。

 


『二重生活』予告編 - YouTube

 

 要は夫である主人公チャオの不倫の話であるが、ただ特徴的なのは、『二重生活』という邦題の示す通り、主人公が妻とも愛人ともちゃんとした「家庭」を築いており、それぞれに子供がおり、それぞれで良き父親として存在している、という点である。ただ、チャオはそれにも飽き足らずさらに「遊び相手」の「女の子」もつくる。

 この「女の子」は嫉妬に狂った妻によって、結果的に殺害されるのであるが、「愛人」のほうとは、どことなく友情関係さえかいま見えるような関係になる。結局離婚するのだけれども。相手にも家庭があって、自分の愛する夫の血を分けた子供がいる――しかもその子が我が子の、幼稚園での友人である――ということに思いを馳せると、単純な嫉妬では済ませられない複雑な感情を持たずにはいられないのだろう。

 不倫の話は世にあふれても、「家庭」を複数もつケースが少ないのは、そもそも不倫とは刺激に欠ける「家庭」から逃亡して刺激を求める行為であって、双方を「家庭」にしてしまったら意味が無いからだろう。(だからチャオは、「女の子」と「刺激」のための不倫もしてしまう) それでもチャオがわざわざ「家庭」を二つもったのは、やはり監督の、一人っ子政策に対する皮肉なのだろうか。

 鑑賞後のトークで知ったのは、この映画の「原作」が、ある女性によって書かれたブログであるということ。とても立派な文学的原作の存在を感じさせる作品だったので、そのことはすごく意外でおもしろく感じた。

 日本でもブログというか、インターネット発の映画作品は『電車男』等いくつかあるが、メディアミックスという感じで、とりあえず映画にもしてみました、というものばかりであろう。『二重生活』はネットから出てネットから独立してみせた映画作品である。意外と、ネットから出てネットから独立するというのは、難しい芸当なのではないか。

 文章を書いて、それを不特定多数の相手に公表するというのは、とてつもない可能性を秘めた行為である、というのは福音であろう。もちろんそれが映画化される必要はない。何百人何千人に読まれる必要もない。ニーチェが言ったそうですよ。「いつかこの世界に変革をもたらす人間がやって来るだろう。その人間にも迷いの夜があろう。その夜に、ふと開いた本の一行の微かな助けによって、変革が可能になるかもしれない。その一夜の、その一冊の、その一行で、変革が可能になるかもしれない。ならば、われわれがやっていることは無意味ではないのだ。絶対に無意味ではない。その極小の、しかしゼロには絶対にならない可能性に賭け続けること。それがわれわれ文献学者の誇りであり、戦いである」と。(佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』より孫引き)

 一人の革命家、一人の映画監督、一人の平凡に生きる人の心に、何らかのとっかかりを与える可能性に思いを馳せながら文章を書くというのは、実に楽しいですよね。