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一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

愛すること、愛されること

 毎日、音楽を聴きながら川沿いを歩いている。川沿いは広大な運動場でもあり、多くの人がテニスや、サッカーや、野球、ランニングそしてウォーキングに精を出している。なんとも健康的な光景だ。もちろん自分自身も心身ともに十分健康で、2ヶ月前の病みきった自分がウソのようである。
 ビートルズにコールドプレイ、平沢進RADWIMPSなど、たまたまiPhoneに入っていたものを乱雑に聴きながら、大空を見つめながら歩くと、気宇がでかくなってくる。労働せずに生きてやろう。自分はこんなにも労働ができない。自分の価値を見出してくれる人にたったひとり出会い、養ってもらおう。その出会いのために自分の価値をとことん磨いておこう。もう、その人とは出会っているのかもしれない――。
 中国からおよそ3週間ぶりに彼女が帰ってきた。彼女の家に遊びに行って、在りし日のごとく甘い時間を楽しんだのも束の間、いきなり泣き出して、しばらく合うのをやめようと言われた。
 私は淡々と、わかった、しょうがないよね、と言いながら、彼女を慰めた。
 彼女は自分の価値を見出してくれる、貴重な存在ではあるが、余裕のある人間でもない。もはや正社員でない私とムリに付き合わせ、将来の不安に怯えさせるのは、さすがに申し訳ない。
 私は余裕のある人間といっしょになって労働せずに生きていく道を見出さねばならぬ。もちろん、私の価値が高まれば、相手の許容範囲も広がるだろう。ただその価値は「労働力」ではありえないだろう。敢えていうなら「教養」だろう。
 労働力のない人間は人を愛することができない。教養のない人間は人に愛されることができない。
 そんな定式が頭に浮かんだが、さすがに一般化するにはムリがあるなと思い直した。だが、この定式が確かにしっくりくると肯んじてくれる人も、少なからずいるのではないか。
 あるいは逆かもしれない。人を愛することのできない人間は労働力とは無縁である。人に愛されることに興味のない者は教養とは無縁である。
 私は、考えてみれば人を愛したことなど一度もない。この人のためになんでもしてやろう、という気持ちにはついぞなったことがない。多くの人に言い寄って失恋してきたが、どれも「自分を褒めてほしいから」という動機でしかなかった。「こんな美人を連れて歩いていたら、多くの人が自分の価値を認めるだろう」という気持ちが、拭いがたくある。
 自分がどうしてもできない「誰かのために何かをする」という行為を、多くの人が平然となしとげているのを見て感心しているが、だからといって自分もそれをやらなければならないとは思えない。
 「人の役に立ちたい」という言葉を他人が言うのはよいが、自分が言ってしまったら、おぞましいウソをついているようにしか感じられないので、とても言えない。就職活動はそのおぞましいウソを自分に強いる場であったので、もう絶対経験したくない。(私は人の役に立ちたいという気持ちはないが、とても正直で、素直なのだ)
 人を愛することをせずに、人に愛されることを望むのは、虫がよすぎる。これもまた事実だ。だから私は、私を愛してくれない人に向かって不平を言ったり執拗に問い詰めたりするような真似も、注意深く避けなければならないと思っている。基本的に一人でいるように心がけたい。これで自分も他人も不幸にしない。
 とはいえ、できれば愛されたい。「愛される」ことの対価は、「愛する」ことには限らないだろう。金銭や、労働力でもいいだろう。しかしこれらのものは自分にはない。だから、私は「教養」を選ぶことによって、自分が「愛される」可能性に賭けることにしたのだ。
 私の彼女は、ある程度「教養」に価値を見出し、それを持つ者を愛するタイプの、つまり私にとってありがたい女性である。とはいえ、人は教養だけでは生きていけないから、「教養」だけの人間を愛するためには、自身に相当な生きるための余裕があることが要求される。私の彼女は、ある程度余裕があったが、残念ながら私の提供できる「余裕」の無さが許容範囲を超えてしまった。あるいは、私の「教養」の価値がまだ低いからということでもあるだろう。
 それにしても、労働は辛い。今月下旬からまた労働をせねばならぬ。実家に帰れば、労働の量を今の半分以下に抑えられるかもしれない。最近はそれを真面目に検討している。
 とはいえ、まだ、彼女と生きる道が残っているから、実家には帰らない。しばらく会わないとは言われたが、結局一週間後くらいに会っているかもしれない。まだ可能性があるのならば、「自分の価値(労働力と金銭以外)を磨くこと」と「愛することができないのに、愛されたいなどと思わないこと」の二点に十分注意を払いたい。彼女との3年間の付き合いにおいて最も反省すべきことは、「なんで俺を愛してくれないんだ」という思いから――言葉遣いは全く違うが――しばしば幼稚な感情をぶつけてしまったことだ。
 やはり自分のような人間は、一人でいるのがいちばん良いだろうか。