一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

人間らしさ

 第三回電聖戦の現地解説会に行ってきた。
 
 15日に行われた、コンピュータープログラムどうしの囲碁大会の優勝者と準優勝者が、人間界の代表(?)であるトップ棋士に挑戦する、という企画である。
 
 もはやコンピューターが人間の棋力を超えつつある将棋と違い、囲碁はここ数年で一気に強くなったとはいえ人間のトップ層との間にまだ相当な棋力差がある。なのでこの企画は今の段階では、コンピューターが人間に勝てるか、というのは主眼ではなくコンピューター囲碁がどのあたりまで成長し、どのあたりに課題があるのかを探るというものだ。
 
 そうはいっても、いまのコンピューター囲碁は相当に強く、一般的なアマチュア――私のような――では全く歯がたたない。私も市販されている「天頂の囲碁」というソフトでたびたび打っているが、私が8子置いても負かされる。アマ大会の都道府県代表を狙える層が、やっとまともに勝負できるという強さなのである。
 
 ふと思うのだが「コンピューター囲碁は人間に勝てるか」という問いに対し、「ほとんどの人間(アマチュア)に勝てる」という事実をもって「然り」と答えることもできるだろう。それなりに囲碁の訓練を重ねてきた人々をも十分上回っている。プロという「特殊な」訓練を重ねてきた人々には敵わない、ということにすぎないのだ。そう考えると「コンピューター囲碁はまだまだ人間に勝てない」という、囲碁界に漂う奇妙な「安心感」には、違和感を覚えるところがある。
 
 この日、コンピューターの相手をしたのは趙治勲二十五世本因坊囲碁を打っている人で知らない人はいない、史上最強の棋士の一人である。
 
 コンピューターの大会を勝ち上がったのは、優勝のCrazyStoneと準優勝のDolBaramである。それぞれフランス、韓国の開発者によるソフトである。いつもながらこの国際性も囲碁の魅力だ。CrazyStoneはこれまで何度もプロに4子のハンデで勝っているので、この日はより厳しい3子で打つことになった。プロと初対戦のDolBaramは4子である。
 
 DolBaramと趙治勲の4子局。数手打ったところで、解説の依田紀基九段が「この打ち方では白(趙治勲)勝てないでしょう」と予言。コンピューター独特の「クセ」について、趙治勲がまったく研究をしておらず、その弱点を突くことができていない、という意味である。
 
 コンピューターソフトは何度も4子でプロを負かしてきたが、それはプロがソフトの「クセ」を知らない、要するに初対局だったからというのが大きな要因であるようだ。一度「クセ」がわかってしまったら、4子でもプロはそうそう負けない、というようなことを依田は言っていた。
 
 局面が進み、DolBaramがなんと趙治勲の大石を取る展開に。ソフトの圧倒的優勢である。プロ同士の対局であったら投了するところだが、趙治勲先生は「大人げない」(吉原由香里六段のブログより引用)打ち方を開始。相手のミスに期待した、本来手にならない手をいくつも繰り出す。一般的なアマチュアならば期待通りにハマり、逆転を許すのであるが、ソフトは実に正確に受け応えて優勢をさらに拡大する。(相手のミスに期待する手は、相手がミスしなければいっそう自分が悪くなるのが相場)
 
 趙治勲は苛立ち始めた。せわしなく姿勢を変え、碁石をもてあそびチャラチャラと音を立て始めた。人間相手にやったら確実に怒られる。もちろんソフト相手にマナーを気にする必要はないが、なにもそこまでムキにならなくても、と思うような様子であった。しかし趙治勲はソフトには絶対負けたくない、負けるわけにはいかんと思っていたのだろう。
 
 「週間碁」の連載で治勲はこう書いていた。

「コンピューターが碁で人間に勝つには、知性と感性を持ち、何の手がかりもない状況でも自分で考えて乗り越えていく力を持つしかない。実はね、ぼくはコンピュータに碁で人間が負ける時が人類の終焉と思っているんです。碁こそが人類最後の砦だとね。」『お悩み天国2 治勲の爆笑人生相談室』86ページ 

 もしかしたら、自分がソフトに4子のハンディ付きとはいえ負けることが「人類の終焉」への一里塚になると思っていたのかもしれない。
 
 話がそれるが、今年始め頃NHKが、コンピューターが膨大なデータの処理によりあらゆる未来予測を可能にし、人間は日常的な判断のほとんどすべてをコンピューターに委ねることになる、という趣旨の未来予測番組をやっていた。すでにアメリカの一部では、コンピューターの未来予測を犯罪防止などに活用している。コンピューターが天候や街の状況などのデータから「今日はこのエリアで犯罪が起きる可能性が高い」ということを予測し、警察が当該エリアを見張っていると、果たしてそこで犯罪が行われ現行犯逮捕に至る、という。これの導入で相当犯罪率が減ったというのだ。そしてこれがさらに拡大され、わずか数十年後に、人々が今日食べるべきもの、目の前の道をどのタイミングで横断すべきか、そのような判断はすべてコンピューター任せになるというのだ。
 
 コンピューターは既にそこまでの、人間をはるかに超越した「知性」を持っているのだから将棋で勝てても当たり前であり、碁で勝てないのは不思議なくらいで、やはり碁というゲームの凄さがそこにある。とはいえだからといって碁が「人類最後の砦」となるようには思えない。
 
 遠くない将来、コンピューターは人間よりも優れた音楽を、文学を、哲学を創りだす。そういう話をよく聞く。碁においても当然、人間をはるかに上回る。そんな世界においても、人間はなんとか生きているだろうと思う。人類は昔から、鳥のようには飛べないと知りながら、空を飛ぼうと試みてきた。馬のように速く走れないと知りながらも、0.1秒でも速く走ろうと努力してきた。コンピューターには決して勝てないと知りながらも、碁を打ち、将棋を指す。文学を書き、音楽を作る。そういった人間の営みが終わるとは、私には思えないのだ。
 
 さて、趙治勲の奮闘、悪あがきも虚しく、DolBaram相手に投了やむなしとなり敗れた。局後観衆の前に現れた彼は、先ほどの苦しそうな様子とは打って変わって爽やかに「いやあ、こんな根性のないことをやっていてはいけませんなあ、人間、清く正しく生きなくてはいけないのです!」と自らの「大人げなさ」を笑ってみせた。依田が最後に「碁界で一番の人格者は趙治勲先生だと思いました」と言ったのもうなずける。
 
 休憩を挟んで、ソフトの王者Crazy Stoneとの3子局。今日は解説者である依田九段は、昨年このソフトと4子で戦って2目半負けを喫している。だが、4子と3子では、石が1個多いか少ないかの違いにすぎないのだが、ハンディとして「相当な差」があるという。
 
 事実、この対局は拍子抜けするほどあっさりと、趙治勲二十五世本因坊の勝利に終わった。趙治勲は先程大石を召し捕られた痛みのためか、守らなくても良い場所をも入念に守りながら打ち進めたが、それでも圧倒的優勢を保って中押し勝ち。4子と3子とでは大きく違うという依田の言葉通りであった。あのCrazy Stoneがこうもあっさり敗れるとは、と驚きをもって受け止めたが、なんだかんだいってやはり、囲碁に関してはソフトと人間との差は大きいのである。
 
 それにしても、いち囲碁ファンとしては、趙治勲依田紀基王銘エン、吉原ゆかりといったそうそうたるメンツを生で見られるという素晴らしい機会であった。趙治勲先生のサービス精神に満ちたトークも冴え渡り、楽しくて仕方がなかった。ニコニコ生放送もあったので、多くの人が見守った。何年後か何十年後かに、コンピューターの碁が人間を上回ったとき、こんな頃もあったなあと望郷の念をもってしみじみと見入る映像になるだろう。