一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

ゲーマーだもの

 彼女と別れた。同棲までしたおよそ3年半にわたる付き合いに終止符。今後は「友達として付き合う」という建前。どちらにせよ私は数十万の金を返さなければならない。

 最後のほうはほとんど会ってもいなかった。向うに新しい男(の候補?)ができ、私と選べない、みたいな状態だったので、私がきっぱり身を引くことにした。

 私のほうでも、彼女といっしょにいたいという気持ちは薄れていたし、結婚願望もなくなっていた。その主な理由は、私がゲームにハマったことである。

 ゲームを始めたきっかけは、たまたまゲーム会社に派遣社員として就職したからであった。この10月1日から、その会社の正社員になることが決定している。

 せっかくゲーム業界に入ったのだから、自分が好きになれるゲームを探してみようと思って始めたMOBA系ゲームが、自分にとって大変な出会いだった。

 今思うと大変な無知であったが、あらゆるゲームジャンルの中でも最高クラスの競技性を持つ「MOBA系ゲーム」と、自分の会社で運営している「ソーシャルゲーム」は、「ゲーム」という同じジャンルでくくるのがはばかられるくらいに異なる代物だ。自分の属するゲーム業界のことをよく知ろうと思って「ゲーム」を始めた結果、自分が運営として担当している「ゲーム」がいかに自分と相性が悪いか、わかってしまったという皮肉なことだ。

 しかしそれくらい、自分にとってMOBAとの出会いは大きかった。今プレイしているのは、世界一プレイヤー数が多いゲームとして知られるLeague of Legendsだが、のめりこみすぎて生活に支障が出る。まともに寝てない。食事もとってない。彼女と別れることを決意させる引き金を引いてくれたのもコイツだ。要は世間的に「大切なもの」を犠牲にしてまでプレイしている、ということだ。

 私はゲーマー。そして、人と付き合うのが苦手。

 League of Legendsをいっしょにプレイする仲間を求めて、コミュニティ掲示板みたいなところに書き込んだ。スカイプで音声通話しながらプレイするきっかけが何回かあったが、やはりあまり自分には向かないと思った。一人で黙々とやりたい。

 私は競技性のあるゲーム(囲碁とMOBA)が好きで、一人でいることを愛する。この2つの要素で自らのほとんどを語れてしまうように思える。

 一人でできる活動が好きだ。だが、同じ一人でやるにしても、読書をしたり文章を書いたりするよりも、ネットで碁を打ったりMOBAをしたりするほうがよい。なぜなら、これらの競技性のあるゲームにおいては、独りよがりになることが排されるからだ。読書なり音楽なりは、一人でやっていると独りよがりに陥りがちであり、現に私も本の読み方などが非常に独りよがりであった。そしてそれを訂正する機会はまれであった。

 競技性のあるゲームにおいては、ひとりよがりは敗北という形で、即座に否定される。その要素が私の性格的な欠陥を見事に補完してくれるように思う。敗北という現実を突きつけられた場合、なんらかの形で自分が間違っているのであり、変わらなければならない。その有無を言わさぬ宣告が、私には何ともありがたいのだ。

 ひとりでいられて、かつひとりよがりになることを排することができる。そのようなものがある時代に生まれてよかったという思いがふと生じる。