一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

スタジアムデビュー

 14日、サッカーの試合を観に行った。初めてのことだ。
 
 スポーツ文化のある種の側面は私をうんざりさせてやまない。特にチーム競技における「一致団結」やら「One for All」やらのスローガンは、一人でいることを美得する私が戦わねばならない敵でもある。娯楽の一つにすぎないスポーツがあらゆる面で社会の特権的な地位を占めていることに腹立たしさを覚える。
 
 2010年のワールドカップ南アフリカ大会のとき、日本代表の長谷部誠選手が「Jリーグに来てほしい」と訴えた。似たようなことは多くの選手の口から言われている。日本代表に世界で勝ってほしいのなら、日本代表の実力の最大の基盤であるJリーグに来て盛り上げてもらわなければ困る、という意味だと思うが、なぜ、そんな特権的な物言いが許されるのかと訝ったものだ。
 
 囲碁棋士が「もっと棋士を応援してほしい」などと言ったら、何を偉そうにと多くの人が反発するのが目に見えている。囲碁など娯楽の一つにすぎないのだから、やりたい人間がやり、観たい人間が観る。そのなかで、自然に市場が成立し、棋士が職業として成り立つ。世の中そういうものであって、サッカーに関してだけ「お前ら観にこなければならない」と上から目線での物言いが許され、さらにはそれがお国のため、民族のためというような話になる。
 
 そういったスポーツの「うざさ」に日頃辟易していて、滅多にスポーツ観戦などしない私であるが、今回ひとりでスタジアムに足を運んだ。第一に、とにかくスタジアムが近くにある。もう公務員でないので特定される心配もないので地名を明かすと、等々力陸上競技場が家から歩いて15分ほどのところにある。ここは川崎フロンターレの本拠地で、フロンターレのホーム試合はすべてここで行われる。同じチームの試合を継続反復して観戦することで、深い見方を養うには良い条件だ。
 
 第二に、健康への志向がある。健康への志向を強くし、マインドを健康的にするには、やはりスポーツ観戦が適しているだろうという考えだ。
 
 第三に、かつて一年間だけ、中日ドラゴンズの観戦にハマったことがある。スポーツ文化の上記のようなウザさに辟易としつつも、本質的にはスポーツ観戦が好きなのである。なぜ一年で飽きてしまったのかといえば、やはり名古屋を本拠地とするドラゴンズの応援へのモチベは続かず(首都圏の球場には何度も足を運んだが、ナゴヤドームには一回しか行かなかった)、また野球というスポーツの、「無駄な時間の多さ」(本当の野球好きには無駄な時間など少しもないのだろうけど)に疲れてしまったのだ。時間の制限なく、ときには4時間も5時間も続くゲームを観戦する集中力と余裕はなかった。
 
 さて実際に行ってみて、とにかく楽しかった。おもしろかった。試合の内容については何も理解していないので語れないが、今年から川崎フロンターレのいちサポーターとして、サッカーに対する見識を深めていきたいと思う。
 
 世界各地のチームでプレイしている選手を、「国籍が同じ」という極めてフィクショナルな基準でムリに日本に連れ戻して成立する「日本代表」というチームと違い、Jリーグなどのローカルなチームはもっと合理的に構成されている。オーナーの予算と方針、選手との交渉などで出来る限り強いチームを作る。その過程もファンにとって見ものだ。もちろん、世界のどこから連れてきても構わない。国籍やら人種やらという妙な縛りはない。
 
 中日ドラゴンズの選手の多くが名古屋(圏)出身でなく、川崎フロンターレの選手のほとんどが川崎出身でないということに、たいていのファンは寛容である。にも関わらずなぜ日本代表のチームは日本国籍者のみで組まれればならぬと考えるのか、これは素朴ながらも、しっかり答えなければいけない問いだろう。
 
 川崎フロンターレについて言えば、ブラジル人のレナト、エルシーニョが主力選手として活躍している他、元北朝鮮代表のアン・ビョンジュンが在籍している。Wikipediaによると、「『朝鮮籍ではいろいろな国に行くにも制約があるからプロを目指すならこの際、国籍を変えてはどうか』と打診されても、北朝鮮代表としてプレーすることを決断した」選手であるとのこと。2014年の出場試合は5試合のみと、あまり表に出てこない選手であるが、応援する機会があればぜひとも精一杯応援したいと思う。
 
 サッカーというのは、世界中で行われているだけに、国家やら人種やら政治やらについて考えを巡らす機会が多く、そういうものを無視した「純粋な」ファンでありたいと思ってもなかなかそうはいくまい。そうであっても、そう だからこそ、いろいろと楽しめると期待している。