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一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

石を投げる

読書

 ふるまいよしこ『中国メディア戦争 ネット・中産階級・巨大企業』を読んだ。

www.nhk-book.co.jp

 とても面白い本だった。「メディア」を中心として、現代中国の様々なエピソードが語られるが、そのどれもが非常に味わい深く、普通の日本のメディアではなかなか接することのできない類のものだ。

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 『日本会議の研究』を書いた菅野完さんのかつての行為について、週刊金曜日が報じたらしい。私は同書が発売されるずっと前から、菅野さんのファンだったので、「婦女暴行」と言って差し支えないその内容にはショックを受けた。

 菅野さんが何か大変なことをして、界隈で大変に嫌われているという話は聞いていた。「不倫した女に子供を産ませた」とか、そういう話だと勝手に思っていた。(思っていたというか、誰かがそんなことをつぶやいたのを読んだ記憶がある。単なるデマだったのかもしれない。)それも十分に問題かもしれないが、婦女暴行とはやはり本質的に異なる。不倫関係だと思っていたから、「能力のある人間は、モテてしまうものだから、多少そういったいざこざは避けられない宿命だ」と、こっそり彼を擁護していた。こういうふうにも、どういうふうにも、真相は擁護できないような事柄であった。

 それにしても。これと同等の、これに近いような婦女暴行、相当悪質なセクハラを、著名人によるものでなく、比較的身近な知人や知人の知人がやったとか、被害に遭ったとか言う話を、過去10年で何度も何度も何度も聞いた。こういった話は「ありふれている」。

 私自身の身を振り返っても。かつて自分が行った性的な行為について、すべて「相手との同意に基づいて」やったものだと自信をもっていえるか?相手の心情お構いなしに突っ走ったものではないと言えるか?答えはノーである。少なくとも3件、相手の心を深刻に傷つけた可能性のある事案をすぐに思いつく。

 自分の身を振り返ると、彼にストレートに石を投げる気にはなれない。

 自分のことを棚に上げていえば、この社会は性犯罪に対して、相当寛容なところがあるのではないか。どのような行為が女性の心を深く傷つけ、尊厳を奪うことになるのか、学校でまともに教えられた男性はどれだけいるだろうか?(私は学校でそういう教育をまったく受けなかった)

 今日の会社の会議、私は6人ほどを相手にプレゼンを行ったが、自分も含めてすべて男。自分のフロアには20人ちょっとの社員がいるが、女性はたった一人。女性社員のほとんどは、「管理部」という名の掃除やお茶くみを中心とした業務を担当している。どこへ行っても、こんなことばかり。

 この社会に大した疑問を抱かず、かつてどれほど女性を傷つけたかを自省もしない多くの日本の男たちのうちで、彼にまっすぐ石を投げる資格のある人物が、どれだけいるというのだろう。

 私は、今の日本社会が「あまりにあんまりだ」と思うようになった。以前から少しずつ気づいてはいたのだが、菅野さんのこの文章を読んだのが決定的だった。

togetter.com

 巷の論評で耳にする高尚な批評的・政治的概念は、あまりピンとこないことが多いのだが、ここで語られている事象は、我々にとって当たり前の日常になってしまっており、それゆえに極めて重く、根本的である。この根本的な部分に目をつけている人が少ないからこそ、日本では女性の尊厳が極めて軽く扱われる。その視点を獲得してから、日常の風景ががらりと変わった。まさに「うろこが落ちた」と表現するにふさわしい体験。

 しかし、その彼もまた、女性の尊厳を極めて軽く扱っていた当事者のひとりにすぎなかった。

 私も、そうだ。