一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

もっとクソみたいな日記を書きたい

 「楽しいこと、好きなこと」であれば億劫がることなくすぐに取り掛かり始める、というわけではないのが人生の難しいところ。こうやって、わずかなりとも人の目にふれうる文章を書くのは疑いなく楽しく、スリリングであるのだが、ご覧の通りの更新頻度。いつも書こう書こうと思っていて結局なかなか書かない。書くのは上述のとおり単純に喜びだ。インフラ的に困難があるわけでもない。書くことで気持ちも落ち着く。いいことづくめ。

 何か、まとまりのある、立派なことを書かなければいけないと思っているようだ。これはよくない。ただの日記を、あえて公開形式で書く、このブログの主旨はそれだけ。人に読まれることの快感に奮いつつも、読む人のことをガン無視した文章を書く、ということをやってのける度胸が必要である。

 16日、会社の忘年会。参加者3人。社長、自分、そして普段バナーやロゴを担当してくれる女性。この女性は、一応私の前任者だった人で、自分が派遣されてくる前まで同じ仕事を派遣社員としてやっていた。自分のほうは正社員登用されて仕事内容は大きく変わったけれど。

 この女性とは、自分が派遣されたてのときに引継ぎのために3日ほど会っただけ。仕事を依頼するためにSkypeではしょっちゅうやりとりをするが実際に会うことは半年間なかった。

 半年前に見たときの印象とうってかわって、とても可愛くなっていて驚いた。単にメガネをコンタクトにしただけなのかもしれないが、それって実にちょっとした魔法だなと。私自身はコンタクトにする気がまったくないメガネ君だが、これって素晴らしい発明なんだなと思った。ただ、前の印象があるからこそイメチェンしてて可愛く見えるというのではなく、それを差し引いても「フツーに可愛い」。

 そして彼女が、自分よりも3つも年上であることにも驚いた。つまりは、30前半。20代前半といっても余裕の外見である。彼女はデザイナーとして、作曲家の兄と二人暮らしをしている。30前半で兄と二人暮らし。なかなかわけがありそう。彼女は30代にして恋愛体験もほとんどないということをほのめかした。引きこもり気味で、高校も行かず大検をとったとのこと。

 そういう、ややわけありで内向的で、それでいてすごく可愛い女性には、強く惹かれてしまうオタク気質の自分。もちろんスティグマ先行でときめいているわけではなく、普段から仕事でやりとりしていていい人だなーと思っていたところへのプラスアルファ要素である。

 ぜひとも一度デートに誘いたいと思う。

 無鉄砲に女性にデートを誘っていた、元カノと付き合う前までの自分を思い出したく。

 

 その元カノとは、別れた後も会ったりいろいろしてたりすることがあったが、彼女の修士論文をめぐって、また強烈にイライラしてしまい、音沙汰なしに。修士論文などというクソ負担、それも見返りがない負担を、軽い気持ちで背負ってはならない、ということを最後に(?)強く訴えた。

 

 今、太っているのが大変大きな悩みで、10代半ばから今に至るまで一貫して太り続けてきた(その割にはそこまで太っていない?)のを、何とか方向転換したい、と思っているが、運動するのは非常に苦手。ジムへの入会と退会を繰り返している。今また、入会しようかと悩んでいるところだ。

 自分と同じような気質の人が、ingressで健康的に運動して痩せた、ということをネットでたくさん報告しているが、長続きしなかった。しかし今考えてみても、今の自分にある最良の選択肢であるとは思う。

 あとは、このクソみたいな日記を、健康管理日記にすることでますますクソにすれば、多少効果があるかもしれない。

 LOL(League of Legends)と囲碁に関する、やたら強迫的な自分の目標について以前書いた。依然目標達成を目指している。楽しい。LOL囲碁はとても楽しい。これが自分の好きなことなんだと改めて思う。目標達成に向けてがんばることで、本当の意味での「趣味」のある人生にすることができる、と思うと、ますます楽しくなる。

修行の日々

 先日、韓国釜山へ3泊4日の出張へ行ってきた。世界中のゲーム会社が集い、ビジネスマッチアップを求める場へ、社長のお供として行くことに。

 お供としての私の性能は低く、会場までの道のりの確認、スケジュール管理、飲食店で店員をうまく呼べない(笑)等等、おおいに片手落ちであった。そういうのを温かく見守ってくれる優しい社長である。

 普段から日本ではあまりなじみのない国の方々とやり取りする仕事であるが、この出張で改めて、世界を相手に仕事をしているぜ、という感覚を強めた。それは嬉しい感覚であった。

 次につながる嬉しい収穫がいくつもあった。利益になるまでに数年かかる案件も少なくないが、うまく行ったときの、いろんな意味でのベネフィットの大きさを考えるとわくわくする。

 ところで、韓国にくるのは2回目。前回は3年ほど前、ソウルに、彼女の親友(中国人)の結婚式で訪れた。こぎれいな街だなと思った。今回も釜山で、だいたい同じ印象を持った。あまり外国に来たという感覚にならない。日本語もあちこちで通じる。食事も我々の口によく合う。ソウルと違うなと感じたのは、言葉である。知っている韓国語は10にも満たない自分にも、ソウルで話されている韓国語とは相当違うな、ということがわかった。

 女性もきれいな人が多いなと感じる。美容整形のなせる結果なのかどうか知らないが、そんなことはどうでもよく、単純にきれいな女性が多いとそれだけで気分が良くなり、ああ自分もおっさんになったものだと思う。

 今回は日本で楽しめないものを2つ楽しんだ。一つは屋台で、数百メートルにわたりずらりと並んだ屋台は非常に味の良い光景をつくる。どこも陽気で親切なおばちゃんが切り盛りしている。料理の多様性に若干欠けるが、どれもおいしい。

 もう一つはカジノ。釜山には外国人しか入れないカジノがいくつかある。特権を活かし人生初のカジノへ。トランプ系(ポーカー、ブラックジャックバカラ等)はその場ですぐに賭けるにはルールが若干複雑で敬遠してしまった。ルーレットのみを楽しむ。トランプ系に比べるとだいぶオシャレでないので忸怩たる思い。次回はちゃんと予習しておきたい。

 社長が「韓国は反日教育しているわりには、全然それを感じないよなあ」とつぶやいたので私が「そもそも反日教育なんてものが、ネットのファンタジーですからね!」などと返す。酔った場での話。

 この仕事、もっとおもしろいことがこれからたくさんあるだろう。

歩きながら考えた

 歩きながら考えると、思考が健全になる。歩きながら思いついたときの着想は、前向きで、健康的だ。私はもっと歩くべきなのである。

 

 昨日、しばらく歩きながら、以前立てた目標をきっちり達成しよう、ということを思いついた。以前立てた目標というのは、今年の8月頃の話で、「30歳になるまで(2016年4月)にLOLでGold、VaingloryでTier6、囲碁で幽玄初段になる」というものである。

 この目標を8月頃に、知人も多く見ている某SNSのプロフィールに掲げておきながら、その後、やれ仕事だ、語学だ、ingressだ読書だとゆらゆら気持ちがゆれて、目標への気持ちがすっかり薄れていた。あわれ移ろいやすき我が心と秋の空よ。

 内容はなんでもよろしい。自分の言動に責任をもち、移ろいやすき心を抑え、着実に実行していく精神をこそ、30歳になる前に養わねばならぬ。

 上記の目標を達成しようとするならば、4月まで全力で打ち込まねばとても届かぬ。全力で打ち込んで、やっと達成できるかどうかの、困難な目標である。悔悟せよ。反省せよ。なぜこんな高い目標を立てたのか。4月以降は、長期的目標にせよ短期的目標にせよ、容易に達成可能なものを設定せよ。そうせねば、言動に責任を持つ姿勢など身につかぬ。

 しかし、この目標に対して今回ばかりは責任を持たねばならぬ。

 とはいえ、この2-3ヶ月の悩み移ろいの期間は、目標の完全な達成をいっそう困難にした。忸怩たる思いで、「Vaingloryでtier6」という目標を削除し、二度とこんなことをすることがないよう、深く心に留めねばならない。目標の途中変更は、目標をまるで達成できぬままズルズルと掲げるよりはずっとマシだ。しかしその変更には、思慮と、後悔と、深い反省が伴わねばならぬ。

 しばらくは、仕事も残業を極力避け、きっちり8時間労働に留めるよう努める。また、語学や仕事にまつわる諸々の勉強は放棄だ。(どうしてもやる必要があるなら、極力業務時間中にせよ)幸いにも、モト彼女は修士論文執筆に忙しく、私に構う時間がない。余暇の時間をすべてつぎ込んで、やっと達成可能な目標であろう。ああ、こんな馬鹿げた目標を2度と掲げてはならぬ。

 悔恨にまみれながらも、なおこの思考の健全さを信じる。

 LOL囲碁も、単なるゲームではない。この2つにある程度真剣に取り組むことが、自らの思考を、精神を鍛えることは少なくないと信じる。また、文化的に、東アジアを理解する上で非常に重要なものである。これらに精通することが、中国語・韓国語等を学ぶモチベーションにつながるだろうから、しばらく語学を放棄しても、5月以降に飛躍するポテンシャルを蓄えることができるだろう。

 ただし、歩くことと書くことは放棄してはならぬ。歩くことは思考を健全にし、書くことは移ろいやすき心を飼いならすのに必要だ。

復讐

 別れたはずのモト彼女と、また会うようになり、性的な関係もあったりして。彼女は同棲時代のふたりの写真を某チャットアプリでたくさん送ってきたりして。相変わらず変化と迷い、優柔不断に富んだ日々を送っている。

 昨年10月、公務員として就職、1月に休職、3月に退職、派遣社員として働き始める。この10月、派遣社員として働いていた会社に、正社員として登用される。なお社員は自分一人のもよう。社で社長の次に偉く、最も下っ端である。

 ブログの前回の更新日を見たら8月でドン引きした。もっとたくさん、書き留めておくべき思考があるはずなのに。相変わらず悩み多き日々を健全に過ごすための方策として、ブログがいかに有効であるか、よく知っているはずなのに。

 数年後にブロガーとしてデビューできるよう、研鑽を積んでおきたいと思う。何しろ明日をもしれない小さなベンチャー企業の所属だ。組織人としてでなく、自分個人の市場価値を高めながら生きていく必要がある。それにつなげるためのある種のプロ意識をもって、ブログを書くようにしたいと思う。(とはいえこのブログに関しては、あくまで匿名の公開日記に過ぎないけれども。準備が整ったら東アジアのエンターテイメント業界をテーマとしたブログを立ち上げるつもり。)

 その前に、やるべき重要な仕事が、かつての自分の心が受けた傷を癒すこと。このブログにもはっきり形跡が残っているが、昨年末から今年頭にかけての私は、精神的に非常に落ち込み、休職をすることとなった。上司やほかの職員から受けたハラスメントが原因である。少し肩がぶつかっただけで「てめえどこ見て歩いているんだ!」と恫喝され、まったく筋のないことで責められ、サービス残業を強制された日々。

 何よりも残念なのは、それを「自分に非がある」と思い込み、「発達障害」とかいうキーワードでいろいろ探し回ってしまったこと。

 結果的には、辞めることでむしろ自分の才能を発揮しやすい職場に移ることができたのだから、良かったと言うべきだろう。しかし私と同じような道筋をたどり、ひきこもったり長年の無職生活を強いられたりする人々が多くいることは想像に難くない。そして私のようにそれを「発達障害」と呼んで、まるで自分が悪いかのようにっ考えてしまう人がいることも。

 普通に生活していても、屈辱の念、復讐の念が日に数回は襲いかかる。彼らをいかに屈服させるかという計略が、気が付くと頭の中を渦巻いている。悔しく、不幸なことだ。できる限り健康的な市民として生活をし、ハラスメントのない社会、クソ長時間労働のない社会を自分の日常からコツコツと実現させていくことが、現実的になしうる、せめてもの復讐である。

ゲーマーだもの

 彼女と別れた。同棲までしたおよそ3年半にわたる付き合いに終止符。今後は「友達として付き合う」という建前。どちらにせよ私は数十万の金を返さなければならない。

 最後のほうはほとんど会ってもいなかった。向うに新しい男(の候補?)ができ、私と選べない、みたいな状態だったので、私がきっぱり身を引くことにした。

 私のほうでも、彼女といっしょにいたいという気持ちは薄れていたし、結婚願望もなくなっていた。その主な理由は、私がゲームにハマったことである。

 ゲームを始めたきっかけは、たまたまゲーム会社に派遣社員として就職したからであった。この10月1日から、その会社の正社員になることが決定している。

 せっかくゲーム業界に入ったのだから、自分が好きになれるゲームを探してみようと思って始めたMOBA系ゲームが、自分にとって大変な出会いだった。

 今思うと大変な無知であったが、あらゆるゲームジャンルの中でも最高クラスの競技性を持つ「MOBA系ゲーム」と、自分の会社で運営している「ソーシャルゲーム」は、「ゲーム」という同じジャンルでくくるのがはばかられるくらいに異なる代物だ。自分の属するゲーム業界のことをよく知ろうと思って「ゲーム」を始めた結果、自分が運営として担当している「ゲーム」がいかに自分と相性が悪いか、わかってしまったという皮肉なことだ。

 しかしそれくらい、自分にとってMOBAとの出会いは大きかった。今プレイしているのは、世界一プレイヤー数が多いゲームとして知られるLeague of Legendsだが、のめりこみすぎて生活に支障が出る。まともに寝てない。食事もとってない。彼女と別れることを決意させる引き金を引いてくれたのもコイツだ。要は世間的に「大切なもの」を犠牲にしてまでプレイしている、ということだ。

 私はゲーマー。そして、人と付き合うのが苦手。

 League of Legendsをいっしょにプレイする仲間を求めて、コミュニティ掲示板みたいなところに書き込んだ。スカイプで音声通話しながらプレイするきっかけが何回かあったが、やはりあまり自分には向かないと思った。一人で黙々とやりたい。

 私は競技性のあるゲーム(囲碁とMOBA)が好きで、一人でいることを愛する。この2つの要素で自らのほとんどを語れてしまうように思える。

 一人でできる活動が好きだ。だが、同じ一人でやるにしても、読書をしたり文章を書いたりするよりも、ネットで碁を打ったりMOBAをしたりするほうがよい。なぜなら、これらの競技性のあるゲームにおいては、独りよがりになることが排されるからだ。読書なり音楽なりは、一人でやっていると独りよがりに陥りがちであり、現に私も本の読み方などが非常に独りよがりであった。そしてそれを訂正する機会はまれであった。

 競技性のあるゲームにおいては、ひとりよがりは敗北という形で、即座に否定される。その要素が私の性格的な欠陥を見事に補完してくれるように思う。敗北という現実を突きつけられた場合、なんらかの形で自分が間違っているのであり、変わらなければならない。その有無を言わさぬ宣告が、私には何ともありがたいのだ。

 ひとりでいられて、かつひとりよがりになることを排することができる。そのようなものがある時代に生まれてよかったという思いがふと生じる。

I know who I am

 ゲーム業界に入ったのは単なる偶然であったが、ここを終の住処と考え、発展に寄与していきたいと思う。

 私を今の会社に入れてくた人が、経営陣との不和で辞職した。そのため私のところに、彼がやっていた仕事がどっかりと降ってくることになった。◯バゲーや◯クシィに展開している5つほどのタイトルの運営が、私の手に委ねられている。毎朝、昨日の売上をみて一喜一憂する。今のところ「憂」のほうがだいぶ多いのが現状だが、それでも生きている実感がある。

 新タイトルの立ち上げも委ねられた。以前から付き合いのあるウクライナのゲーム開発会社による新ソーシャルゲームを、今月末から来月にかけてリリースする。ウクライナ製のゲームを日本展開する仕事をしている人間なんてのが、日本に自分以外にいるのだろうかと考えると妙な高揚を禁じ得ない。毎日ウクライナ人やロシア人、◯クシィ、◯バゲーとぎゃんぎゃん交渉しながら作り上げた私の苦心の作品が、もうすぐ世にでる。そのユーザー数や売上高に精神を揺さぶられ続ける日々が間もなく来る。きっとその日々は、生の実感にあふれた日々であることだろう。

 仕事はなかなか楽しいが、しかしゲームの中でもいわゆる「ソーシャルゲーム」は私の好きなジャンルではない。むしろひたすらマウスをクリックし続ける退屈なゲームとの認識は変わっておらず、私のお客様には申し訳ないが、提供者である私はこんなものに金払う気にはとてもなれない。もちろんそれは個人的な好みの話であり、自分の意志で納得してお金を払ってくれるお客様をバカにする気はないが。

 私の好きなゲームは、もちろん囲碁であり、そして囲碁と同じく他者よりも優れたプレイヤーであろうとする向上心を掻き立てられるゲーム、明確なルールとフェアな条件の整った、プレイヤーがひたむきな気持ちで打ち込むことのできるゲームである。

 ゲーム業界に入る前は、囲碁以外にそのようなゲームが存在するということを知らなかった。ところが、それは私の割と身近なところで、巨大な規模で、輝かしい将来性をそなえて、存在したのである。いわゆる、eスポーツの世界である。

 eスポーツ、つまり既存の野球やサッカーなどのスポーツ業を、そのまま電子ゲームに置き換えた世界である。少し前まで「消費者」に過ぎなかったゲームのプレイヤーが、今は大企業とスポンサー契約を結び、数億単位の賞金のためにプレーするプロフェッショナルになっている。いっぱんのスポーツ業界と同じく、(建前上)フェアで、ひたむきで、残酷な世界だ。

 世界的に巨大な規模で勃興するこのeスポーツであるが、日本においてはどうもなじみがない。今でも一応ゲーム先進国であるこの国において、なぜなのか、いろんな説があるがどうもはっきりしない。

 では、eスポーツの世界で最も盛んな国はどこか? 韓国である。韓国というのは、今後まず何よりeスポーツの国として認識されるだろう。韓国がeスポーツの世界最先進国であることを知らない人は、韓国について何かコメントしようと思うべきではないのである。

 韓国をはじめとするeスポーツの世界の動きを追ったドキュメンタリーがYouTubeで見られる。昨年行われた、韓国ソウルのWカップスタジアムに4万に集めて行われたリーグ・オブ・レジェンドの決勝戦の模様は圧巻だ。

www.youtube.com

 少しばかりeスポーツというこの新しいジャンルに対する批判がましいことも含まれているが、それも含めて刮目して見るべき映像である。

 ここに来て私は、私の好きなものの奇妙な共通点に思いを馳せるのだ。囲碁と、eスポーツ(ゲーム)。どちらも、日本で大きな発展をみたジャンルであるにも関わらず、現況で日本はむしろ世界から取り残されている。代わりに、韓国、中国、台湾、香港などの「東アジア」が最も盛んな場所として、世界の注目を集めている。

 私は私の心の故郷のありかについて考えてしまう。好きなものがすぐ隣の国々にあって自分の国にはない、この状況は何なのか。

 そんな疑念は1秒で解決してしまう。要するに私は「東アジア人」なのであり、それがアイデンティティであり、その意味で私はまったく正しい場所にいるのである。とてもコスモポリタンにはなれそうにもない。私は強烈に、「東アジア」に対する帰属意識があるのだから。

 この東アジアが、今後も世界の最先進地域である囲碁とeスポーツの世界を、いっそう盛り上げ、他の地域に波及させ、私自身遊びつくすこと。これが私のなすべきことではないのか。私は目覚めてしまった。カルヴィニズム的な天職意識に。しばらくしたらソーシャルゲームの世界は卒業し、必ずこの世界に入る。今は今の仕事での実績を出すとともに、英語、韓国語、中国語をいずれも仕事で使えるレベルとするために磨いておく。また、自身が囲碁とeスポーツのそれなりのプレイヤーとなるべく鍛錬を積む。私は呼び出された。職業とはまさしく "calling" なのである。

全人類共通の心の故郷をつくるよ

 陽気のかまびすしいゴールデンウイークであるが、私のまったく陽の当たらない部屋は相変わらず薄暗く、ひんやりとしている。冬の間はこれが少なからず苛立ちの元だったが、この季節になるとたいへんありがたい。

 派遣社員として、ゲーム会社で働き始めて、一ヶ月。端的に言って働くのが楽しい。こないだまでの絶望がウソみたいだ。生まれ変わった気分だと言っても良い。

 当初は、自分はどうせ労働には向かないのだから、一年くらい働きながら勉強して、大学院にまた入って貧困にあえぎながら研究者を目指す計画であった。だが、今は、ゲーム業界というフィールドの、プロミネントなプレイヤーになる気マンマンである。

 私の会社は、海外製のゲームを日本にローカライズするのが主事業である。ローカライズというのは、「翻訳」を少し拡張した概念ぐらいに考えてもらえばいいと思う。「翻訳」というのは主に言語の置き換えについて使う言葉であるが、ゲームの場合、言語以外にもいくつか置き換えねばならない要素があるのでこの語を使う。

 今度、自分が新しいタイトルのローカライズのマネージ全般を任せられる見込みだ。「働く」ことを諦めかけていた自分には、大変ありがたい――まさしく「有り難い」――機会だ。

 すごく良い会社だとは言えないが、良い会社であると思う。自分のような、ポテンシャルがありながらもなぜかあちこちでつまづいている人間のモチベーションを高める多くの仕掛けが用意されている。

 私の業務のひとつに、ゲーム業界関連ニュースで自分が注目すべきだと思ったものを社内で共有する、というのがある(現代版新聞切り抜き)。先日、中国向けにゲームをローカライズしているアメリカ会社についての記事を見つけた(なにしろ私は中国に興味がある)ので、「この会社おもしろいですよ」と共有した。すると、社長と副社長から、ただちにその会社に連絡をとり、業務提携を提案するようにという命令が下った。

 結局、私の経験不足のため、コンタクトは副社長がやってくれた。早速秘密保持契約が結ばれ、提携が始まった。

 自分のちょっとした興味の発信から、このような具体的な動きにつながっていく。自分の関心の中心である中国に関わる仕事ができるようになるかもしれない。気持ちが高ぶっていくのを感じる。

 とはいえ、大いに心配なところもある。私が働き始めてまだ一ヶ月ほどでしかないのに、4人の人が去り、3人の新しい人が入った。これから去っていく一人は、自分の面接をしてこの会社に入れてくれた人だ。その人が、社長と副社長との不和が原因で辞めることになった。

 何かと人間関係の機微に疎いので、ことの本質はよくつかめない。社長・副社長によれば、彼は明らかにある種の能力が不足しているという。

 良くも悪くも、流動的な業界なのであろう。

 新しく入って来た一人は、とても魅力的な雰囲気のある、韓国人女性だ。日本語がネイティブレベルなのはもとより、とにかく本当にアトラクティブなのだ。私もいい大人なので良からぬことは考えていないが、これもまた仕事に対する気持ちを強める。(公務員は、外国人の同僚など望むべくもない。ろくでもないね!)

 ゲーム業界のプレイヤーとしての私の目標は、「21世紀の宮﨑駿を世界のどこかから発掘する」ことである。言い換えれば、全世界で共有できる心の故郷を世界に提供する、ということだ。