一眼でも生きている石

やるべきこと:体重65kg、ゴミ出し、掃除、睡眠時間の確保。できるまで他の一切は不要

復讐

 別れたはずのモト彼女と、また会うようになり、性的な関係もあったりして。彼女は同棲時代のふたりの写真を某チャットアプリでたくさん送ってきたりして。相変わらず変化と迷い、優柔不断に富んだ日々を送っている。

 昨年10月、公務員として就職、1月に休職、3月に退職、派遣社員として働き始める。この10月、派遣社員として働いていた会社に、正社員として登用される。なお社員は自分一人のもよう。社で社長の次に偉く、最も下っ端である。

 ブログの前回の更新日を見たら8月でドン引きした。もっとたくさん、書き留めておくべき思考があるはずなのに。相変わらず悩み多き日々を健全に過ごすための方策として、ブログがいかに有効であるか、よく知っているはずなのに。

 数年後にブロガーとしてデビューできるよう、研鑽を積んでおきたいと思う。何しろ明日をもしれない小さなベンチャー企業の所属だ。組織人としてでなく、自分個人の市場価値を高めながら生きていく必要がある。それにつなげるためのある種のプロ意識をもって、ブログを書くようにしたいと思う。(とはいえこのブログに関しては、あくまで匿名の公開日記に過ぎないけれども。準備が整ったら東アジアのエンターテイメント業界をテーマとしたブログを立ち上げるつもり。)

 その前に、やるべき重要な仕事が、かつての自分の心が受けた傷を癒すこと。このブログにもはっきり形跡が残っているが、昨年末から今年頭にかけての私は、精神的に非常に落ち込み、休職をすることとなった。上司やほかの職員から受けたハラスメントが原因である。少し肩がぶつかっただけで「てめえどこ見て歩いているんだ!」と恫喝され、まったく筋のないことで責められ、サービス残業を強制された日々。

 何よりも残念なのは、それを「自分に非がある」と思い込み、「発達障害」とかいうキーワードでいろいろ探し回ってしまったこと。

 結果的には、辞めることでむしろ自分の才能を発揮しやすい職場に移ることができたのだから、良かったと言うべきだろう。しかし私と同じような道筋をたどり、ひきこもったり長年の無職生活を強いられたりする人々が多くいることは想像に難くない。そして私のようにそれを「発達障害」と呼んで、まるで自分が悪いかのようにっ考えてしまう人がいることも。

 普通に生活していても、屈辱の念、復讐の念が日に数回は襲いかかる。彼らをいかに屈服させるかという計略が、気が付くと頭の中を渦巻いている。悔しく、不幸なことだ。できる限り健康的な市民として生活をし、ハラスメントのない社会、クソ長時間労働のない社会を自分の日常からコツコツと実現させていくことが、現実的になしうる、せめてもの復讐である。